2011年10月21日
【2011夏USA】Day15:Colorado
今日は一旦、シアトル地区を引き払うので、ホテルをチェックアウト。空港で返すレンタカーには、クライアントふたりがレンタカーを借りるために同乗した。
そのため、少し早めに出発。空港へ1/3ほど進んだ地点で、ガソリンのエンプティランプが点灯した。実にベストなタイミングで返すことになりそう。
レンタカーの返車手続きをした後、クライアントふたりがレンタカーを借りるところまでお手伝いして、ターミナルへ向かう。フライトは、ユナイテッド航空UA837便。日本行きのフライトに近い時間帯なので、カウンターでは日本語を話す係員が対応してくれた。もっとも待つ列は1つで順番に対応なので、偶然でもある。
指定されたゲートへ出向くと、やけに日本人が多い。発着案内を見て気付いたのだが、このフライト、東京発シアトル経由デンバー行きでした。道理で多いワケだ。
11時53分離陸、機材はボーイングB757-200(N585UA)。B757は日本の航空会社は導入していないが、通路2本2-3-2座席配列のB767を通路1本、3-3配列にした飛行機。運航面ではB767とほとんど同一、機材はB737より大型だったが、B737が度重なる新バージョンで大型化して、差はかなり縮まっています。
14時58分デンバー到着、時差1時間。14時が15時になった。ロビーでは私の名前を書いた取引先の女性が待っていた。半年ばかり何度もメールでやり取りしていたのだが、初対面である。
デンバーは標高約1600m、ほぼ1マイルに相当する高さなので、マイル・ハイ・シティとも言われています。日本では、役所(市役所・役場)の高さを基準にすると、長野県茅野市が約800m、同じ長野県の南佐久郡川上村が1,185mであるから、相当高い。とはいうものの空気の薄さとかは感じられない。
ここ半年ほどメールでやり取りしていた現地会社の担当者(オバサン)に出迎えられ、彼女の車で会社を表敬訪問したのち、ホテルへチェックイン。BoulderのLa Qinta Inn。ここ10年ぐらいに急成長したホテルチェーンで小綺麗な感じ。ただ、横にだだっ広く、フロントから部屋までスーツケース転がして3分はかかった。
州間高速道路のインターチェンジに面しており、数軒のホテルとロードサイドショップ以外は荒野。歩いてウロウロするような環境にない。
小憩ののち、再びお出迎えでBoulderのダウンタウンで食事会。ホームステイの受け入れをやっているのは、だいたい8割が女性で、このコロラドの会社も社長以下すべて女性スタッフが切り盛りしています。とは言いつつも、英語で会話しながらイタリアンを食べるのは集中が二分されてしまうので、ちっとも満足できない。
ホテルへ戻って、メール処理とかしているうちに耐えられなくなり、就寝。空気が薄いのは関係があるのかないのか判然としない。
そのため、少し早めに出発。空港へ1/3ほど進んだ地点で、ガソリンのエンプティランプが点灯した。実にベストなタイミングで返すことになりそう。
レンタカーの返車手続きをした後、クライアントふたりがレンタカーを借りるところまでお手伝いして、ターミナルへ向かう。フライトは、ユナイテッド航空UA837便。日本行きのフライトに近い時間帯なので、カウンターでは日本語を話す係員が対応してくれた。もっとも待つ列は1つで順番に対応なので、偶然でもある。
指定されたゲートへ出向くと、やけに日本人が多い。発着案内を見て気付いたのだが、このフライト、東京発シアトル経由デンバー行きでした。道理で多いワケだ。
11時53分離陸、機材はボーイングB757-200(N585UA)。B757は日本の航空会社は導入していないが、通路2本2-3-2座席配列のB767を通路1本、3-3配列にした飛行機。運航面ではB767とほとんど同一、機材はB737より大型だったが、B737が度重なる新バージョンで大型化して、差はかなり縮まっています。
14時58分デンバー到着、時差1時間。14時が15時になった。ロビーでは私の名前を書いた取引先の女性が待っていた。半年ばかり何度もメールでやり取りしていたのだが、初対面である。
デンバーは標高約1600m、ほぼ1マイルに相当する高さなので、マイル・ハイ・シティとも言われています。日本では、役所(市役所・役場)の高さを基準にすると、長野県茅野市が約800m、同じ長野県の南佐久郡川上村が1,185mであるから、相当高い。とはいうものの空気の薄さとかは感じられない。
ここ半年ほどメールでやり取りしていた現地会社の担当者(オバサン)に出迎えられ、彼女の車で会社を表敬訪問したのち、ホテルへチェックイン。BoulderのLa Qinta Inn。ここ10年ぐらいに急成長したホテルチェーンで小綺麗な感じ。ただ、横にだだっ広く、フロントから部屋までスーツケース転がして3分はかかった。
州間高速道路のインターチェンジに面しており、数軒のホテルとロードサイドショップ以外は荒野。歩いてウロウロするような環境にない。
小憩ののち、再びお出迎えでBoulderのダウンタウンで食事会。ホームステイの受け入れをやっているのは、だいたい8割が女性で、このコロラドの会社も社長以下すべて女性スタッフが切り盛りしています。とは言いつつも、英語で会話しながらイタリアンを食べるのは集中が二分されてしまうので、ちっとも満足できない。
ホテルへ戻って、メール処理とかしているうちに耐えられなくなり、就寝。空気が薄いのは関係があるのかないのか判然としない。
2011年09月16日
【2011夏USA】Day14:Escort
この日は、運転手役がお仕事のメインです。
どういうことかと言えば、昨日お出迎えしたクライアントを車に乗せて、ホームステイをしている生徒が午前中に受けている授業を視察して回る。
この日の朝、夜行便で到着したもうひとりをホテルで待ち受け、出発。2か所廻ってお昼になったので、モールにあった、Applebee'sというレストランへ。チェーン店のようだが、それほど高くなく、日本のファミレス感覚で利用できる店でした。
アルコールが入った二人は陶然としてしまい、午後はホテルで休憩になりました。
ここで仕事の話を簡単にご説明しましょう。
私の仕事は、主として高校生のアメリカ・カナダでのホームステイの運営です。ホームステイは、ほとんどが夏に実施になります。春に実施するプログラムがないわけではありませんが、日米双方が夏休みの時期に集中します。ただホームステイするだけでは、学校や保護者の満足を得られません。滞在中は英会話を中心とした英語クラスもセッティングされることが多いです。
ただ、査証の関係で授業時間数が決められており、ほとんどのプログラムが週に4日、午前中の3時間から3時間半の授業になります。先生はもちろん現地のネイティブスピーカー。ただのネイティブではなく、英語を母国語としない人に英語を教える資格(ESLといわれる)を持った人たちです。現役もしくは引退した中学・高校の先生のことが多いです。
この英語クラスは、プログラムによっては夏休み中の学校だったり、教会を使ったりします。午後は、フリー(ホストファミリーと過ごす)の場合もありますが、月~木までは、15時ぐらいまではいろんな活動をします。週のうちの1日は、見学旅行を組み、周辺の大都市や観光地を巡ります。週末は基本的にホストファミリーと過ごすことになります。
ホストファミリーは原則がボランティアで、一銭も受け取りません。原則といったのは、たとえばカリフォルニアでは、治安や環境から滞在できるコミュニティが限られ、さらに近年は中国人の進出がはなはだしく、競争が激化しており、週50ドル程度をガソリン代その他経費として渡さないと、良質なホストファミリーが得られないという状況になっています。
このボランティアでホストファミリーをする、というのはなかなか日本人には理解されないのですが、アメリカの特に西部は、開拓の歴史の中で先に定住した人が後から来た人が自立するまで面倒を見る、といった歴史があるうえ、もともとボランティア精神が高い国民性もあります。
自分の子供が国際的なことに関心を持ってほしいと、毎年受け入れる家庭もあれば、日常生活は問題ないけど、遠くへの旅は不安があるので、毎年海外からのホームステイを受け入れる老夫婦もいます。
参加する生徒たちはホストファミリーの選択権はありません。彼らが書いた英語のアプリケーションをもとに、ホストファミリーが選びます、もちろん猫の毛のアレルギーがあったりする場合は、ペットを飼っていない家へ、といった考慮はします。
そうやって、1グループ12~20名前後で、2週間から4週間のホームステイを体験します。これまでの経験上、3週間程度が一番よいとされています(夏休みの期間に占める割合と、英会話力の向上の兼ね合い)。
これが私が仕事にしているホームステイの標準的なスタイルです。もちろん、標準以外のパターンもあるわけで、最初に滞在したSanta Cruzは、大学寮ステイで英語クラスを実施するというもので、どちらかといえばイレギュラーなケースです。ただ、生徒数が多いので、抱える生徒の割合では50%ぐらいになりますが。
で、夏の間、日本からアメリカへ現地要員を派遣して、各滞在地を回ります。もちろん突発事項が発生すれば、予定を変更して駆けつけるのですが(幸い、これまで病気を含めて現地で亡くなった人はいません)、それがなければ訪問するついでに細かな問題を解決することもあります。
今年は基本的に2名派遣していて、そのうちの長い方が私の担当です。
そういうわけで、この日の夜は中華レストランで引率者・クライアントを交えて夕食。予約をずっとシアトルにいる女性(2日前「Days11」の記事参照)に頼んだら、予想外に遠いところを手配されてしまい、ガソリンを前後で2回給油することになった。明日、帰すのであまり入れたくないので、ちょっとしか入れなかったのだ。
どういうことかと言えば、昨日お出迎えしたクライアントを車に乗せて、ホームステイをしている生徒が午前中に受けている授業を視察して回る。
この日の朝、夜行便で到着したもうひとりをホテルで待ち受け、出発。2か所廻ってお昼になったので、モールにあった、Applebee'sというレストランへ。チェーン店のようだが、それほど高くなく、日本のファミレス感覚で利用できる店でした。
アルコールが入った二人は陶然としてしまい、午後はホテルで休憩になりました。
ここで仕事の話を簡単にご説明しましょう。
私の仕事は、主として高校生のアメリカ・カナダでのホームステイの運営です。ホームステイは、ほとんどが夏に実施になります。春に実施するプログラムがないわけではありませんが、日米双方が夏休みの時期に集中します。ただホームステイするだけでは、学校や保護者の満足を得られません。滞在中は英会話を中心とした英語クラスもセッティングされることが多いです。
ただ、査証の関係で授業時間数が決められており、ほとんどのプログラムが週に4日、午前中の3時間から3時間半の授業になります。先生はもちろん現地のネイティブスピーカー。ただのネイティブではなく、英語を母国語としない人に英語を教える資格(ESLといわれる)を持った人たちです。現役もしくは引退した中学・高校の先生のことが多いです。
この英語クラスは、プログラムによっては夏休み中の学校だったり、教会を使ったりします。午後は、フリー(ホストファミリーと過ごす)の場合もありますが、月~木までは、15時ぐらいまではいろんな活動をします。週のうちの1日は、見学旅行を組み、周辺の大都市や観光地を巡ります。週末は基本的にホストファミリーと過ごすことになります。
ホストファミリーは原則がボランティアで、一銭も受け取りません。原則といったのは、たとえばカリフォルニアでは、治安や環境から滞在できるコミュニティが限られ、さらに近年は中国人の進出がはなはだしく、競争が激化しており、週50ドル程度をガソリン代その他経費として渡さないと、良質なホストファミリーが得られないという状況になっています。
このボランティアでホストファミリーをする、というのはなかなか日本人には理解されないのですが、アメリカの特に西部は、開拓の歴史の中で先に定住した人が後から来た人が自立するまで面倒を見る、といった歴史があるうえ、もともとボランティア精神が高い国民性もあります。
自分の子供が国際的なことに関心を持ってほしいと、毎年受け入れる家庭もあれば、日常生活は問題ないけど、遠くへの旅は不安があるので、毎年海外からのホームステイを受け入れる老夫婦もいます。
参加する生徒たちはホストファミリーの選択権はありません。彼らが書いた英語のアプリケーションをもとに、ホストファミリーが選びます、もちろん猫の毛のアレルギーがあったりする場合は、ペットを飼っていない家へ、といった考慮はします。
そうやって、1グループ12~20名前後で、2週間から4週間のホームステイを体験します。これまでの経験上、3週間程度が一番よいとされています(夏休みの期間に占める割合と、英会話力の向上の兼ね合い)。
これが私が仕事にしているホームステイの標準的なスタイルです。もちろん、標準以外のパターンもあるわけで、最初に滞在したSanta Cruzは、大学寮ステイで英語クラスを実施するというもので、どちらかといえばイレギュラーなケースです。ただ、生徒数が多いので、抱える生徒の割合では50%ぐらいになりますが。
で、夏の間、日本からアメリカへ現地要員を派遣して、各滞在地を回ります。もちろん突発事項が発生すれば、予定を変更して駆けつけるのですが(幸い、これまで病気を含めて現地で亡くなった人はいません)、それがなければ訪問するついでに細かな問題を解決することもあります。
今年は基本的に2名派遣していて、そのうちの長い方が私の担当です。
そういうわけで、この日の夜は中華レストランで引率者・クライアントを交えて夕食。予約をずっとシアトルにいる女性(2日前「Days11」の記事参照)に頼んだら、予想外に遠いところを手配されてしまい、ガソリンを前後で2回給油することになった。明日、帰すのであまり入れたくないので、ちょっとしか入れなかったのだ。
2011年08月31日
【2011夏USA】Day13:Boeing
この日は日曜日ですが、午後に沖縄関係のプログラムの募集をしているクライアントが視察に来るので、それまではフリー。まぁ空港へは行かないといけないので、お昼前ぐらいにホテルを出ました。
空港を通り過ぎて向かったのは、Boeingが運営している博物館、The Museum of Flight。大人の入場料は16ドルといい値段です。博物館はBoeing Fieldという飛行場に面しており、おそらく以前は反対側はピュージェット湾だったと思うのですが(初期のボーイングは、水上飛行艇も作っていました)、いまはボーイングの工場・オフィスが並んでます。
Seattle地区には他にもボーイングの施設があり、北にあるエバレット工場はBoeing747~Boeing777の製造工場で、シアトル空港の東側にあるレントン工場では、小型のBoeing737などが製造されています。
このBoeing Fieldも、北側のエリアはBoeing施設になっています。ただし、製造というよりはテスト、もしくは引渡し前の完成検査、という感じです。
さて、ここへ来るのは2回目。展示品もそれほど変わっていないのですが(BoeingB-52爆撃機が増えたぐらい)、博物館前の駐機場にゲストが来ていました。

TWA(Trans World Airways)のDC-3
TWAは2001年にアメリカン航空に吸収合併されましたが、かつてはパンアメリカン航空と並んで米国を代表する航空会社でした。とうとう日本へは定期就航せずに消滅してしまったため、馴染みが薄いです。
DC-3は第二次大戦中に製造がピークを迎えた傑作機(軍呼称「C-47輸送機」)ですがアメリカでは未だ相当の数が飛べる状態で登録されています。これもその1機。さすがに定期輸送はしていませんが。こんな小型機だけではなく、ロッキードL1049スーパーコンステレーションなんかも何機も現役登録されており、この博物館にも、Trans Canada航空のL1049がいつでも飛行可能に戻せる状態で保存されています。
YS-11が1機も飛べる状態では保存されていない日本とは大違いです。
そんなわけで、頃合いを見て空港へ移動して駐車場へクルマを停めたところで連絡が入り、飛行機乗り遅れたので6時間遅れるとのこと。事情がよくわからないですが、海外で飛行機乗り遅れるとはさすが沖縄人。仕方ないのでクルマをまた出して、シアトル市内へ。マリナーズの本拠地のセーフコ・フィールドに近い、Uwajimayaという日本食スーパーを冷かして、シアトル市内を車でひと回り(来年のプログラムの説明会で地理が解らないのも困る)して、空港へ戻りました。クライアント連れてホテルへ戻ったのが21時半、それから打合せで、解放されたのが23時。やれやれ迷惑なことこの上ない。
空港を通り過ぎて向かったのは、Boeingが運営している博物館、The Museum of Flight。大人の入場料は16ドルといい値段です。博物館はBoeing Fieldという飛行場に面しており、おそらく以前は反対側はピュージェット湾だったと思うのですが(初期のボーイングは、水上飛行艇も作っていました)、いまはボーイングの工場・オフィスが並んでます。
Seattle地区には他にもボーイングの施設があり、北にあるエバレット工場はBoeing747~Boeing777の製造工場で、シアトル空港の東側にあるレントン工場では、小型のBoeing737などが製造されています。
このBoeing Fieldも、北側のエリアはBoeing施設になっています。ただし、製造というよりはテスト、もしくは引渡し前の完成検査、という感じです。
さて、ここへ来るのは2回目。展示品もそれほど変わっていないのですが(BoeingB-52爆撃機が増えたぐらい)、博物館前の駐機場にゲストが来ていました。
TWA(Trans World Airways)のDC-3
TWAは2001年にアメリカン航空に吸収合併されましたが、かつてはパンアメリカン航空と並んで米国を代表する航空会社でした。とうとう日本へは定期就航せずに消滅してしまったため、馴染みが薄いです。
DC-3は第二次大戦中に製造がピークを迎えた傑作機(軍呼称「C-47輸送機」)ですがアメリカでは未だ相当の数が飛べる状態で登録されています。これもその1機。さすがに定期輸送はしていませんが。こんな小型機だけではなく、ロッキードL1049スーパーコンステレーションなんかも何機も現役登録されており、この博物館にも、Trans Canada航空のL1049がいつでも飛行可能に戻せる状態で保存されています。
YS-11が1機も飛べる状態では保存されていない日本とは大違いです。
そんなわけで、頃合いを見て空港へ移動して駐車場へクルマを停めたところで連絡が入り、飛行機乗り遅れたので6時間遅れるとのこと。事情がよくわからないですが、海外で飛行機乗り遅れるとはさすが沖縄人。仕方ないのでクルマをまた出して、シアトル市内へ。マリナーズの本拠地のセーフコ・フィールドに近い、Uwajimayaという日本食スーパーを冷かして、シアトル市内を車でひと回り(来年のプログラムの説明会で地理が解らないのも困る)して、空港へ戻りました。クライアント連れてホテルへ戻ったのが21時半、それから打合せで、解放されたのが23時。やれやれ迷惑なことこの上ない。
2011年08月26日
【2011夏USA】Day12:Weekend
ホームステイプログラムの場合、土曜日曜はホストファミリーと過ごすことになっており、英語のクラスはありませしたがって、緊急以外では連絡も入ることが少なく、休めることが多いです。
そんなわけで、12日目のこの日、アメリカへ来てから初めての何も予定がない日でした。
9時前までゆっくり寝て、無料の朝食を提供時間が終わるギリギリで食べ、部屋に戻ったところで、携帯電話が鳴りました。
ドキッとしたのですが、同じようにアメリカに来ている同僚からで、向こうも今日はOFFらしく、じゃぁ情報交換かねて夕食でも、ということになりました。
そろそろこっちへ向かっている頃にそれは始まりました。
運転中の同僚から、15時ごろに連絡が入り、私の担当しているグループの生徒について、ホストファミリーからトラブルの連絡が入ったそうです。なぜ、私ではなく、担当外の同僚に第一報が行くのか、と言う点も気になりますが、もう近くまで来ているとのことなので、とりあえず会ってから協議しましょう、ということに。
連絡がこのルートになったのは、ホストファミリーからコーディネーター、エリアを担当しているスーパーバイザーへと報告が上がり、このスーパーバイザーが昨年、同僚と仕事したので、そっちに連絡したようです。これはこれで問題なので、後で取り上げるとして、当面はこの生徒の対応です。
とにかく、ステイ先へ行くことにして、クルマ2台で向かいました。ことの流れから、同僚を巻き込むことになってしまい、申し訳なし。
ところが手元の資料の住所がいい加減で、番地も通りの数字も間違いで、散々迷った挙句にようやくたどり着きました。それから約2時間半、生徒と話し、ホストファミリーと話し、なんとか解決できるよう努力しました。
要するにホームシックで、こうすれば解決、という簡単なものではなく、ホストファミリーとその家を見た限りでは、どちらかといえば問題は生徒のヤル気にかかっています。なので、ひたすら生徒の理解を援助する話をするのですが、沖縄の離島出身で、日本の家族は兄弟姉妹が多く、夜も同じ部屋で寝ている子が、アメリカで個室を与えられて、環境の変化に付いていけないのが、実情です。
これはまだこっちへ来て一週間なので、乗り切ってもらわないとダメな壁なのですが、この生徒は結局、ホストファミリーと馴染むことができず、ホストファミリーが音を上げたカタチでこの2週間後に、引越しになりました。ホストファミリーにはなんら非がないだけに、申し訳ないです。
結局、我々の夕食は抜きになってしまい、ホテルへ戻ったのは22時過ぎ。疲れ果てました。
そんなわけで、12日目のこの日、アメリカへ来てから初めての何も予定がない日でした。
9時前までゆっくり寝て、無料の朝食を提供時間が終わるギリギリで食べ、部屋に戻ったところで、携帯電話が鳴りました。
ドキッとしたのですが、同じようにアメリカに来ている同僚からで、向こうも今日はOFFらしく、じゃぁ情報交換かねて夕食でも、ということになりました。
そろそろこっちへ向かっている頃にそれは始まりました。
運転中の同僚から、15時ごろに連絡が入り、私の担当しているグループの生徒について、ホストファミリーからトラブルの連絡が入ったそうです。なぜ、私ではなく、担当外の同僚に第一報が行くのか、と言う点も気になりますが、もう近くまで来ているとのことなので、とりあえず会ってから協議しましょう、ということに。
連絡がこのルートになったのは、ホストファミリーからコーディネーター、エリアを担当しているスーパーバイザーへと報告が上がり、このスーパーバイザーが昨年、同僚と仕事したので、そっちに連絡したようです。これはこれで問題なので、後で取り上げるとして、当面はこの生徒の対応です。
とにかく、ステイ先へ行くことにして、クルマ2台で向かいました。ことの流れから、同僚を巻き込むことになってしまい、申し訳なし。
ところが手元の資料の住所がいい加減で、番地も通りの数字も間違いで、散々迷った挙句にようやくたどり着きました。それから約2時間半、生徒と話し、ホストファミリーと話し、なんとか解決できるよう努力しました。
要するにホームシックで、こうすれば解決、という簡単なものではなく、ホストファミリーとその家を見た限りでは、どちらかといえば問題は生徒のヤル気にかかっています。なので、ひたすら生徒の理解を援助する話をするのですが、沖縄の離島出身で、日本の家族は兄弟姉妹が多く、夜も同じ部屋で寝ている子が、アメリカで個室を与えられて、環境の変化に付いていけないのが、実情です。
これはまだこっちへ来て一週間なので、乗り切ってもらわないとダメな壁なのですが、この生徒は結局、ホストファミリーと馴染むことができず、ホストファミリーが音を上げたカタチでこの2週間後に、引越しになりました。ホストファミリーにはなんら非がないだけに、申し訳ないです。
結局、我々の夕食は抜きになってしまい、ホテルへ戻ったのは22時過ぎ。疲れ果てました。
2011年08月23日
【2011夏USA】Day11:Relationship
この日は、シアトルの南方、ボーイングの工場があるレントンの少し南でホームステイしているグループの視察。
シアトル周辺は、私の担当する4つのグループがホームステイしています。その中では最も北に位置しており、南端のグループに近い宿からは車で30分ほどかかった。なるほど、カーナビがあると住所の番地をいちいち見ないで目的地まで行けます。
ここで滞在しているのは横浜の高校生11名のグループ。通常は、引率の先生と会社が契約するエスコート(添乗員とは少し役割が異なりますが、旅行業界的に添乗員の資格は持っています)が各グループにつくのですが、11名では費用的な問題もあり、両方は無理で学校の方針として先生がつくことになりました。
こういうケースは要注意で、教員は生徒のコントロールは大丈夫ですが、添乗員的な業務は不得意ですから、いろいろ問題がおきます。訪問するとその辺の話が出てきますが、これもたとえば現地の人間ともめた時に、どうしても生徒を擁護する形になり、現地サイドと対立してしまうことが往々にしてあります。エスコートがいれば、中立的な立場で仲介が可能ですが、いない場合はエスカレートするケースも。
このグループも話を聞いていると、そういう傾向になったのですが、引率の先生が経験者で、現地の先生よりも年上なのでうまく対応してくれて、やれやれでした。
午後は、私がSanta CruzだCanadaだとドサ廻りしているあいだ、ずっとシアトル地区で私の担当グループの一部を見てもらっている人と情報交換。この人(女性)、やや自己保身的で、英会話力はあるのですが(カナダにワーホリで行った経験あり)、現地の運営会社から、あの人はエスコートで来ないでくれと言われたことがあります。
自分が問題と思ったことをその場では問題提起せず、あとで、たとえば上司がいる場で、突然、問題提起して事を荒立てることがあり、私も何度か痛い目にあってきました。その場で疑問を解消しようとしないとは、カナダでいったい何を学んできたのか、と言いたくなったことがあります。
滞在しているホテルへ出迎えると、キャスターバッグを転がして出てきたので、そんなに資料があるのか、とびっくりしたのですが、訊けば、滞在しているアパートメントホテルが、従業員を含めてちょっと信用できないので、貴重品全部持ち歩いている由。
この話を聞いて、あぁそりゃアメリカ人に嫌われるわな、と納得しました。
彼女に言わせると、アメリカ社会は契約社会なので、契約通りに事が進まないのは許せないそうです。確かにそれも一理ありますが、モノを扱う上では、不良品や製造ミスは責任区分を明確にする必要がありますが、ホームステイプログラムの運営は、生身の人間を扱います。現地では、契約通りにいかないことや、契約にないことも発生します。現地のプログラムの運営は基本的に現地の会社がやっており、こちらはその運営が滞りなく行われているかどうかを確認することと、問題が起きた時に、その解消と対策を現地会社と一緒に実行するのが仕事です。
日々の運営については、アメリカ人(カナダ人)を信頼して任せ、スケジュール通りに行かなくて、契約にないことを取り入れたり、契約とは違うことをやったりする場合でも、それが合理的であれば口出ししないぐらいの、対応をしたほうがプログラムが上手く回ります。対立するばかりでは、何も解決しません。
生徒がホストファミリーと慣れない英語で会話ができるようになるのはだいたい一週間かかりますが、大人の側も、相手のアメリカ人(カナダ人)の能力を見極め、どこまで信頼できるかを判断し、信頼関係を築くのも一週間ぐらいでやらなければいけません。
そういう面で言えば、この人は曖昧で態度不明というステレオタイプされた日本人とは逆の意味で、付き合いにくい日本人なんだろうな。と思います。
打ち合わせが終わって、ある街の駅の近くのモールのオープンテラスで夕食を摂っていたら、すぐ横の線路を、Amtrakの北行きのCoast Starlight(ロサンゼルス発シアトル行き)が通過。記憶にある時刻表だと、シアトル着が7時半ぐらいなので、ほぼ定刻らしい。
彼女をホテルまで送って、自分のホテルまで帰ろうとすると、インターステーツ5号線が事故渋滞で、20分くらい余計にかかりました。事故は怖いので気を付けよう。
シアトル周辺は、私の担当する4つのグループがホームステイしています。その中では最も北に位置しており、南端のグループに近い宿からは車で30分ほどかかった。なるほど、カーナビがあると住所の番地をいちいち見ないで目的地まで行けます。
ここで滞在しているのは横浜の高校生11名のグループ。通常は、引率の先生と会社が契約するエスコート(添乗員とは少し役割が異なりますが、旅行業界的に添乗員の資格は持っています)が各グループにつくのですが、11名では費用的な問題もあり、両方は無理で学校の方針として先生がつくことになりました。
こういうケースは要注意で、教員は生徒のコントロールは大丈夫ですが、添乗員的な業務は不得意ですから、いろいろ問題がおきます。訪問するとその辺の話が出てきますが、これもたとえば現地の人間ともめた時に、どうしても生徒を擁護する形になり、現地サイドと対立してしまうことが往々にしてあります。エスコートがいれば、中立的な立場で仲介が可能ですが、いない場合はエスカレートするケースも。
このグループも話を聞いていると、そういう傾向になったのですが、引率の先生が経験者で、現地の先生よりも年上なのでうまく対応してくれて、やれやれでした。
午後は、私がSanta CruzだCanadaだとドサ廻りしているあいだ、ずっとシアトル地区で私の担当グループの一部を見てもらっている人と情報交換。この人(女性)、やや自己保身的で、英会話力はあるのですが(カナダにワーホリで行った経験あり)、現地の運営会社から、あの人はエスコートで来ないでくれと言われたことがあります。
自分が問題と思ったことをその場では問題提起せず、あとで、たとえば上司がいる場で、突然、問題提起して事を荒立てることがあり、私も何度か痛い目にあってきました。その場で疑問を解消しようとしないとは、カナダでいったい何を学んできたのか、と言いたくなったことがあります。
滞在しているホテルへ出迎えると、キャスターバッグを転がして出てきたので、そんなに資料があるのか、とびっくりしたのですが、訊けば、滞在しているアパートメントホテルが、従業員を含めてちょっと信用できないので、貴重品全部持ち歩いている由。
この話を聞いて、あぁそりゃアメリカ人に嫌われるわな、と納得しました。
彼女に言わせると、アメリカ社会は契約社会なので、契約通りに事が進まないのは許せないそうです。確かにそれも一理ありますが、モノを扱う上では、不良品や製造ミスは責任区分を明確にする必要がありますが、ホームステイプログラムの運営は、生身の人間を扱います。現地では、契約通りにいかないことや、契約にないことも発生します。現地のプログラムの運営は基本的に現地の会社がやっており、こちらはその運営が滞りなく行われているかどうかを確認することと、問題が起きた時に、その解消と対策を現地会社と一緒に実行するのが仕事です。
日々の運営については、アメリカ人(カナダ人)を信頼して任せ、スケジュール通りに行かなくて、契約にないことを取り入れたり、契約とは違うことをやったりする場合でも、それが合理的であれば口出ししないぐらいの、対応をしたほうがプログラムが上手く回ります。対立するばかりでは、何も解決しません。
生徒がホストファミリーと慣れない英語で会話ができるようになるのはだいたい一週間かかりますが、大人の側も、相手のアメリカ人(カナダ人)の能力を見極め、どこまで信頼できるかを判断し、信頼関係を築くのも一週間ぐらいでやらなければいけません。
そういう面で言えば、この人は曖昧で態度不明というステレオタイプされた日本人とは逆の意味で、付き合いにくい日本人なんだろうな。と思います。
打ち合わせが終わって、ある街の駅の近くのモールのオープンテラスで夕食を摂っていたら、すぐ横の線路を、Amtrakの北行きのCoast Starlight(ロサンゼルス発シアトル行き)が通過。記憶にある時刻表だと、シアトル着が7時半ぐらいなので、ほぼ定刻らしい。
彼女をホテルまで送って、自分のホテルまで帰ろうとすると、インターステーツ5号線が事故渋滞で、20分くらい余計にかかりました。事故は怖いので気を付けよう。


